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第6話 殿下は再び床に頭をこすりつけた

last update Last Updated: 2026-02-21 19:00:32

【ユリアナ視点】

 この日、夜明け後にわたくしへ使用人のサルチャクから報告があった。

 まだベッドで起きてすぐに。

「殿下がお見えです」

 朝早くから?

 そして報告したサルチャクは、諦めているような目をして疲労を見せていた。

 ただ、わたくしにとっては驚きもしなかった。

(やはり来ましたのね)

 それだけの感情。

 もう一度来るって事は予想できた。

 先日の謝罪、殿下は頭を床につけて謝罪の言葉だけを伝えた。

 跪いて、わたくしに許しを請《こ》うて。

 明らかにおかしな状況。

 しかも、何に対して謝罪をしようとしているのかを、何も言わず。

 だからわたくしは、謝罪を受け入れられなかった。

 婚約破棄に関する事かもしれない。

 でも、それならば言ってほしかった。

 理由も訊きたかったから。

 謝罪だとすれば、今日は言ってくれるのだろうか。

「通しなさい。でも客間とは違う場所に」

 わたくしはそうサルチャクに伝えた。

「かしこまりました」

 寝間着から着替えて、殿下が通されたであろう部屋に行ってみる。

 殿下が通されたのは小さいながらも庭がよく見える部屋で、わたくしにとってはお気に入りだったりする。

 彼はどんな言葉をわたくしに言うのだろうか。

 そう思いながら部屋に。

 部屋に入ってみると、そこには既に先日を同じような体勢を取った殿下が。

「殿下」

 わたくしは元婚約者でありながらも、冷たく淡々と言葉を話していく。

 そして近くにある椅子に座って、話を聞くことにした。

「また謝罪ですのね」

「俺は君のために婚約破棄をした。だが、それが正しかったのか分からなくなった」

 やはり謝罪は、婚約破棄に関することですのね。

 分からなくなったって。迷っているじゃないの。

 だからこそ謝っているのだろうけれど、なら婚約破棄する前に、気づかなかったのかしら。

 私は何も言わずに聞いていく。

 すると、殿下は前世に関することを話していた。

 前世ーー伝承等《でんしょうとう》で見聞きしたことがある。

 別世界の人物が転生することがあると。

 本当にあるのね。

 しかも、殿下がその人物だなんて。

 わたくしはそれでも驚きを見せず、ただ聞くだけ。

 ”推し”って分からないけれど、前世ではわたくしを好いていたのね。

 確かにわたくしも殿下を愛しているけれど。

 なのに何で、わたくしを婚約破棄するのかしら。

 それに、逃げていたって。

「本当に申し訳ありませんでした!」

 大きめの声で、殿下は謝罪する。

 それから部屋には沈黙が流れていった。

 沈黙を破ったのは、わたくしの声。

「殿下は、わたくしに謝りに来たのではありませんわ」

 彼にそう伝える。

 すると驚きの表情をして、言葉を失った。

「”安心したい”だけですわ」

 そう、わたくしに謝罪して様々なものを戻そうとしている。

 彼が壊したのに。

 だけど、彼をこれ以上壊したくない気持ちもある。

「確認したいのですけれど、前世の記憶が戻ったのは本当かしら?」

「あ、ああ。俺は亀山来人《かめやまらいと》という高校生だった」

 だからこそわたくしは、彼に一つ一つ確認していく。

「推し、つまりわたくしを前世から好いていたと?」

「そうだ」

「イラスト……絵を描いていた、とか?」

「描いていた。一枚だけじゃなくて、何枚も」

 殿下は全てに肯定して、嘘でないことを証明しようとしていた。

 眉唾ものだけど、信じるしかないのかしらね。

 前世のことに関しては。

「分かりましたわ。ですが、殿下はわたくしの未来を壊した自覚はおありで?」

「あ、ある」

 狼狽えながら返事をする殿下。

 正しい王妃として、これまで勉強などをしてきた。

 彼の逃げによってそれが無駄になってしまった。

「それなのに、謝罪をしてすぐ戻そうと?」

 戻れるなら戻ってもいいかもしれない。

 無駄にはならないから。

「もしもまた窮屈になったのなら、捨てるとかはないでしょうね?」

 いくら王太子とはいえ、わたくしがモノ扱いにされているようなもの。

 それは承服できない。

「殿下、わたくしは”二度と捨てられない未来”を約束できない方とは、関われません」

 わたくしにとっては、婚約関係に戻ることもやぶさかではない。

 だけどそれは、もう一度壊される事が無いという保証が無いと、無駄になる。

「わたくしは、”選ばれなかった未来”を、二度生きるつもりはありませんの」

 今の殿下にはそれが感じられない。

 だからこそ、わたくしは殿下に伝えた。

「それと殿下」

 わたくしは立ち上がって部屋を出ていく。

「次にそのような姿勢を取るならば、”どう生きるか”を決めてからにしてくださいな」

 彼にそう言い残して、謝罪の場は終わったのだった。

「…………」

 扉を閉める音が、やけに大きく響いた。

 表情を崩さずに部屋を離れていく。

 まだ部屋の中には殿下がいる。

 廊下を歩くときの足音は、いつもよりも一定に保っている気がしていた。

「朝の空気は、冷たいですわね」

 太陽は完全に昇っていて、水色の空が見えている。

 橙色の部分はほとんどない。

 門の前の人通りだって、昨日と同じような流れが出来ている。

「はぁ」

 ため息が出てくる。

 わたくしは自室に戻ると、誰もいないことを確認して、手袋を外した。

 それとともにほんの一瞬だけ、力が抜けた気がした。

「殿下、わたくしをどうしたいの?」

 ベッドに腰掛けると、さっきの事を思い出した。

 『前世』、『推し』、『安心したいだけ』、そういった言葉が頭の中で反芻している。

 感情は起こらないけれど、悩ましい。

「破棄したけれども、異世界の記憶を思い出したから、戻したいって……」

 都合が良い。

 でも、嘘ではなさそう。

 わたくしが好きで、わたくしの絵を描いていたなんて。

 そこに、価値があることは理解できる。

 けれど、それはーー惹かれる、とは違う。

 そして、”誠実”とは別問題。

(過去を思い出したから、許される。好きだったから、戻れる)

 わたくしも前世を思い出せば、殿下と何も考えずに婚約関係に戻れるのかしら。

 ならば今すぐに、前世を思い出したい。

「そういう話ではありませんのに」

 王太子や王は迷いがあってはいけないのに、今の殿下には迷いがありすぎる。

 制御不可能なほど、自分で作った迷宮の奥へ奥へと、地図や灯りすらも持たずに進んでいるような。

 わたくしは止められそうにない。

 戻すにはどうすれば良いのか、と自分に問いたいくらいに。

 殿下にとって、わたくしは何なのかしら。

「推し……」

 ふと、『推しだった』という言葉を思い出す。

 あまり理解できない言葉。

 明らかに好いていたという事だけは分かった。

「わたくし、偶像でしたの? それとも”便利な安心装置”?」

 崇められていたの?

 前世の殿下から。

 わたくしを教会の神みたいに?

 そうじゃないとは思うけれど。

「本当、殿下は何を考えているのかしら」

 『前世で好きだった』、だから捨てた後で拾いに来る。

 わたくしはぬいぐるみみたいなおもちゃ、なのかしら。

 いらなくなったけれど、捨てきれない。だから拾いに来る。

 それと同じじゃない。

「随分と、都合の良い”愛”ですこと」

 すると窓から日差しが入ってくる。

 ほんのり映るわたくしの表情は穏やかだったが、目は冷たい。

「殿下は、わたくしを”選び直した”つもりなのでしょうけれど、わたくしは”一度捨てられた事実”を生きているのですわ」

 手袋を付け直す。

 そこからしばしの沈黙が流れていく。

「ええ。二度目は、ありませんわ」

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